第39回 仲間の作品コンクール 川柳の部

<高鶴 礼子 選>

金賞土ほればあの日の君が生えてくる山田 キミ子さん(調布支部)

 一読、立ち上がりくる物語にじんとさせられます。「土」に対して「ほる」、という縁語で仕立てられた導入部と響き合わせるかたちで、静かに据えられてある「生えてくる」という結語。その「生えてくる」の主体が、作物や草といった植物ではなく、「君」と措定されているところが、何と言っても眼目でした。加えて、記されてあるその「君」が、ただ漫然とした「君」なのではなく、「あの日の君」であるところが手柄です。この措定によって、この句に刻まれた物語は、机上の拵え事ではない、《アクチュアリティーたっぷりに迫りくる語り》と成り得ました。「君」なるその人は《ここに描かれたひと》にとって、いったい、どのような人であったのか、「あの日」とは、いったい、どのような、何が起こった日であったのか、そうしたことを、あえて、説明することなく、読者に委ねるかたちで差し出しておられるところが更なる見どころであると言えましょう。不要な説明を一切排した造形が伝えきてくれているのは、「君」なるそのひとが、そして「あの日」なる一刻が、《ここに描かれたひと》にとって、どれほど大切なものであり、どれほどの重さを持つものであったのか、という真実です。「土ほれば」に続く中・下が、もし、「あの日の君を想い出す」と、直截に書かれてしまっていたなら、この句は、そうですか、で終わる、ただそれだけのものとなってしまっていたことでしょう。「生えてくる」という措辞が、縁語としてのみならず、レトリックとしての作用を確と果たし得ていることの見事さ。嬉しく、頼もしく拝させていただきました。

銀賞おさな児へ戻りし母の あんただれ安斎 ハツイさん(調布支部)

 母であるそのひとが、我が子であるはずの自分に対して、「あんただれ」と、問いかけてくる――。《ここに描かれているひと》が、懸命に向き合おうとされている状況の、なんと切ないことでしょう。「認知症」と呼ばれる病が周知のものとなってから、決して短くはない歳月が流れ来てはいます。けれど。言うまでもないことではありますが、一般的な病として、それを認知するということと、自身の身に降りかかりくるものとして、それを受け止めるということの間には雲泥の差があるのです。たいせつな母なるそのひとに、こともあろうに、「あんた、だれ」と問いかけられることとなった《ここに描かれたひと》。その胸中に湧き起こりくる思いの、その言いようのない切なさ、如何ともし難い辛さを思います。こみ上げてくる、渦巻いて已まない《ああ……》。噛み締めても噛みしめても、如何ともしようのないその《ああ……》が、《ここに描かれたひと》を捕えにくるのです。衝撃的な人生のその一刻が、「認知症」というセツメイ的な措辞に頼ることなく記されていることに瞠目します。この句の素晴らしさは、そこにあると言っても過言ではありません。自身をさらけ出すことを厭わない感性の逞しさ。その訴求力に、ただただ、打たれました。

銅賞受けた恩返したい時 遠い人中野 敬子さん(調布支部)

 「遠い人」となってしまった、という《そのひと》が、《ここに描かれたひと》にとって、どのようなひとであるのか、なにゆえに、《そのひと》は「遠い人」となってしまったのか。《恩を受けたひと》である、という手掛かりのみを差し出した上で、他の一切を、あえて記さず、今、眼前にある事実のみを淡々と記す、というかたちでの叙述が、たまらない切なさを連れて来てくれています。あのひとは、あんなに、私のためを思っていて下さった、私のために心を尽くして下さった――、なのに……。ああ、なんとかして、ほんの少しでも、そのご恩に報いることができたなら、なんとかして、この《ありがとう》を捧げさせていただけたなら、こんな半端者の私であっても、今なら、それができるかもしれないのだから、と……。切なる思いを噛みしめる《ここに描かれたひと》。けれど、その前に突きつけられるのは、忘れようもないほどの「恩」を下さった《そのひと》はもう、手の届かないところにいる「遠い人」になってしまった、という事実であり、それ以外の何ものでもないのです。悲しい、寂しい、申し訳ない、といった直截な言葉を一切使わないことが、かえって、そうした心象を強く炙り出してくれていることにお気づきいただけるでしょうか。言い募らない語りの差し出してくれている「ああ……」に、たまらなく惹かれました。

佳作ああ私 母より生きて もう八十路鈴木 ヤイさん(調布支部)

佳作大雨だ 負けるものかと土たえる髙橋 淳子さん(調布支部)

佳作もう一度やりたいってか 真珠湾黒田 順さん(小平東村山支部)

佳作手をかけてやればこたえてくれる土笠倉 セツ子さん(調布支部)

佳作孫の手が杖になりての散歩かな石川 英隆さん(狛江支部)

総評

 今年も、こうして、みなさんがお心に刻んで下さった掛け替えのない《私》、そしてその《私》が見つめる、たいせつな《今》を拝させていただくことが叶いました。過ぎてゆく刻限の中に、確と存在するその一刻。それが指し示す《生きる》の相を、改めて噛みしめています。川柳と、まっすぐに向き合って下さっている大勢の方々の存在。出会いの尊さに頷かせていただくこと、頻りでした。
 入選のお作品に加えて、佳作にいただいた御句も、とても沁みくるお作品群でした。以下にメッセージを記させていただきます。
 佳作一句目のヤイさん、ふと気づいた自身の現在地が、さまざまな思いを《ここに描かれたひと》の心の裡に掻き立てにきます。ああ、なんと、私はもう「八十路」となっている――、私を産んでくれた、あのお母さん、どんなことがあっても、私の傍にいてくれたお母さん、笑って、怒られて、泣いて、いろんなことをいっぱい、一緒に見つめ、暮らしてきた、あのお母さんより、もう長く生きている――と。母の齢を越えてしまっている、という気づきが《ここに描かれたそのひと》の胸に宿す、いくつもの思いを思います。感慨と切なさ、それらを満身に湛えた《そのひと》を、そっと抱きしめていたくなってしまいました。
 二句目の淳子さん、この句における「土」が、「土」であって、「土」にあらず、であるところに惹かれます。「大雨」という現況を見つめ、けれど、それでも、と、「たえる」ことを自身に課し、自身に突きつける《ここに描かれた土》は、同時に《ここに描かれたひと》であり、《そのひと》が見つめる《そのひと自身のこれから》でもあるのです。言葉が字義に留まらず、レトリカルに働くものとなっているところが眼目であるといえましょう。「土」に託して語られる人間模様が、じんと迫り来ます。
 三句目の順さん、おお、まったくもって、その通り、と、大きく頷きたくなってしまいます。国会の審議を経ることなく、大切なものを反故にするかのような決定が下されてしまうような昨今、そうした状況が孕む不穏や危険が、私たちにもたらそうとしているものの正体を、この句は真正面から突きつけてくれているのです。「真珠湾」という言葉が、単なる地名のみに留まることなく、かつての時代に刻まれてしまった愚行の、その契機としての象徴的謂いを前面に掲げてくれているところに瞠目します。ほんとうに、なんとかして、阻止したいものですよね、今を生きている、私たちみんなの力で。
 四句目のセツ子さん、擬人法によって差し出される《ひと》と「土」との交歓に、ハッとさせられます。そうなのですよね。何もしないで見返りだけ求める、などという立ち位置は愚か極まるものなのですよね。関わろうとする相手との間に生まれでる《信頼》は、どのようにして築かれるものであるのか、その本義とはどのようなものであるのか。含蓄のある、そうした投げ掛けを、やわらかな言葉に託して差し出しておられるところが魅力でした。
 五句目の英隆さん、飾り立てない言葉の持つ誠実さが、《ここに描かれたひと》の《生きる》を、そっと伝え来てくれています。ここに至るまでの日々を、その一刻一刻を、衒うことなく、あるがままの自分を、あるがままに見つめて、《ここに描かれたひと》は真摯に刻んでこられたに違いないのです。その「手が」《ここに描かれたそのひと》にとっての「杖に」なってくれている、と語られる《ここに描かれたひと》のお「孫」さんも、そうして一緒に歩くことを、きっと、どんなにか、嬉しく思っておられることでしょう。かつて、子であり、孫であった《そのひと》に、《生きる》が連れて来てくれた《子》そして《孫》という存在。そんなふうにして繋がれてゆく《にんげん》というものの《生きる》が、自然体の語りの背後から、静かに沁み来ます。命の尊厳というものは、こうした一刻に宿るものなのだと、改めて思います。

 今年も、川柳と、まっすぐに向き合って下さっている大勢の方々の存在を確と拝させていただくことが叶いました。川柳に身を置く者にとりまして、それは大きな歓びです。
 みなさんが、こうしてお掌にして下さっている川柳という文芸、川柳という発信の手段を、どうか、これからも、しっかりと握り、みなさんの中の《私》の、心ある伴走者としてやって下さい。書こうとすることを、深く呑み込めば呑み込むほど、吐き戻す作業、即ち《書くということ》は苦しくなります。けれど、深く呑めば呑むほど、深い句が書けるのです。みなさんの裡の、それぞれの《私》が、それぞれの状況の下、見つけ、見い出し、感じ取る様々なことを、どうか、これからも、川柳という造形に刻んでいってやって下さい。心の底から発された、みなさんの中の《私》だけが発し得る言葉たちを、今回も、ほんとうにありがとうございました。

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