第36回 仲間の作品コンクール 川柳の部

<高鶴 礼子 選>

金賞苦しさに耐えて来たのよ負けないは濱田 晴恵(荒川支部)

 結句が「負けないわ」ではなくて「負けないは」となっているところにご注目下さい。もし、この句が、「負けないわ」、と、終助詞「わ」で閉じられてあったならば、この句は、ずっと耐えて来た苦しさを踏まえての心の現在地の吐露、というところで止まってしまっていたことでしょう。もちろん、その場合であっても、口語体による語りが醸し出すイキイキ感に支えられて、それなりに雰囲気のあるお作品とはなるのですが、耐えて来たから負けない、という展開のさせ方を、こう述べただけでは、残念ながら、予定調和であると言わざるを得ません。ということで、もしも、作者が、句の末尾を「わ」で閉じておられたならば、そこそこに雰囲気はあるものの、よくあるパターン的な印象に留まる一句となってしまうところでした。この句の手柄は「負けない」という言葉を「わ」ではなくて「は」という副助詞で受けたところにあります。ある事物を他の事物と区別し、強調する働きを持つ、この「は」という助詞によって、「苦しさに耐えて来た」という行為を為す主体が、「わ」で受けた場合と異なることになることに、お気づきいただけるでしょうか。「わ」で受けると、「苦しさに耐えて来た」のは《私》であり、その《私》が「負けない」と言っている、という状況が呈されます。通常、「苦しさに耐えて来」るのは《にんげん》ですから、これは、極めて自然な、別の言い方をすれば、極めて常識的な合わせ方となります。一方、「は」で受けると、「苦しさに耐えて来た」のは《にんげん》でなくなります。「苦しさに耐えて来た」のは「負けない」である、と読める造形となるのです。それは、辛い状況に陥った時の私たちが、いいえ、それでも、と、必死で心を奮い立たせる時の「負けない」です。様々な局面で、負けない、負けるものか、と困難に喰らいつこうとする懸命――。ずっとずっと「苦しさに耐えて来た」のは、そうした懸命、そうした心のかたちなのだ、という表出となるのです。予定調和的な感触は、これによって、完璧に覆されると言えましょう。言葉の配合の良さがステキな感触の詩と奥行きのある物語を産み落としてくれました。拍手です。

銀賞あの屋根もあのかけ橋も仲間たち小野寺 盛雄さん(調布支部)

 ひとつ、また、ひとつと、何かを創り上げることを続けてこられたひとの裡に、ある時、ふっと、こみ上げてくる、創り上げてきた来し方を仰ぎ見ての感慨が、じんと沁みてきます。「屋根」と「かけ橋」という二つの材に付されて二度繰り返される連体詞「あの」。抜群の働きを見せるこの措辞によって、ここに描かれている思いは決して机上の拵え事ではない、と思わせるだけのアクチュアリティーが一句の中にこぼれおちることとなりました。自分たちがみんなで創ったものは自分たちみんなの分身であると――。創り上げたものを前にして、しみじみと思う、そんな、体温のある《ああ》が立ち昇ってくるのです。「屋根」と「かけ橋」という《もの》を「仲間たち」と括って《ひと》と同列に遇された作者の、ひととしての大きさ、懐深さを思います。普段着の言葉で語られたがゆえに滴り落ちてくるもの、この句の味わいはそこにあります。まなざしのあたたかさに惹かれました。

銅賞孫の背いつのまにかに迫る肩長南 弓子(品川支部)

 お孫さんの背の高さをメインモチーフに据えて記されたこの一句が、《単なる子・孫の句》で終わってしまっていないのは、金賞の句と同様、言葉の取り合わせ方のおもしろによるものです。もし、この想を、「孫の背丈」が「いつのまにやら(私の)肩に迫ってきている」と書いてしまったら、伝えたいことは百パーセント伝わるものの、「おお、そうですか」で終わる《そうですか川柳》になってしまっていたことでしょう。この句の手柄は「いつのまにか迫る」ではなくて「いつのまにか」に「迫る」と、記されたところです。しかも、それが「いつのまにかに迫る肩」というかたちで「肩」の修飾語として配され、「孫の背」という言葉と二物衝撃の位置に置かれることによって、ここに描かれた「肩」は祖母あるいは祖父たる人の「肩」なのではなくて、「お孫さん自身の肩」なのだ、という手掛かりを読者に示すものと成り得ます。それによって、「いつのまにかに迫る肩」という措辞は、単なる「肩」の状況を表わすだけの言葉に留まらず、ここに描かれた「孫」なる人物の生き様を示すものと読める措辞となっているのがおわかりいただけるでしょうか。おお、大きくなったなあ、そうして、これからも、もっと、大きくなっていくんだなあ、と、孫を見つめるひとの思い。行く末のあてなきゆえに、その豊饒を希う心が見えてくるような気がします。字義に留まらない、《ふくらむ一句》となっているところが魅力でした。

佳作新婚を貧困が追う消費税石島 弘さん(小平東村山支部)

佳作年の瀬か格差厳しい冬の陣丹野 俊彦さん(西多摩支部)

佳作腹一杯食べれる自分幸せだ下田 昇さん(足立支部)

佳作三代の世に咲かせて見たい我が努力山浦 保さん(西多摩支部)

佳作八十路すぎ心は若き労働者西村 君子さん(調布支部)

補欠冬なれど桜が咲きし永田町石川 英隆さん(狛江支部)

補欠仕事無い私ホントにキャッシュレス金谷 修さん(江東支部)

総評

 今回も、大勢の方々が川柳を手に、それぞれの方々の《今》を書こうとして下さいましたことを嬉しく、ありがたく感じます。その上に立って、ひとつだけ、申し上げさせて下さい。これまでにも何度かお話しさせていただいたことですが、《今》を書くということは、川柳という文芸にとって、とても大切なことです。ただ、その《今》は単なる《今》ではなく、《私》の《今》であってほしいと念じます。つまり、一般的・総体的な、みんなが言ってる/みんなが思ってる《今》ではなくて、《私》が《私》の目で見つけた《今》、《私》自身の心が見つめている《今》であってほしいという訳です。特に、社会詠を書こうとされる時は、ぜひ、この意識、この視点を忘れないでいらしてください。そうでないと、川柳を書いたつもりが、スローガンや報道の後追いで終わってしまうことにもなりかねず、残念な結果になってしまいます。

 さて、それでは、恒例となりました佳作の方々へのメッセージと参りましょう。
 一句目の弘さん、消費増税に対する異議申し立てを、ただ、単に言い放ってお終い、となさるのではなく、「新婚」と「貧困」という脚韻を踏むこと――即ち押韻という手法に託して発しておられるところが楽しいです。妙味がありました。
 二句目の俊彦さん、「格差」が存在してしまっていることに対する《もの申す》ですね。結句に置かれた「冬の陣」という語がレトリカルに働いているところに惹かれます。しかも、ああ、ここからが冬の陣だ、と感じている《そのひと》を「年の瀬」という空間に置いたことによって、余情が生まれました。
 三句目の昇さん、「食べれる」とラ抜き言葉で綴られているところが少々、気にはなりましたが、一切の衒いや《ええかっこしい》を排した書きっぷりに惹かれます。そうなのです、川柳は「脱ぐ」なのです。この調子で、どうか、思うがままに、川柳の野を歩いて行っていらしてください。いろいろな出会いが昇さんを、きっと、待っていてくれています。
 四句目の保さん。昭和・平成・令和と、三つ並べて改めて見てみると、いろいろなものが見えてくるのですよね。能動性と自律性に満ちた語り口に惹かれます。まずは、これを書こう、と思ったところを、どんどん、書いていらして下さい。保さんご自身の彩を、そこから発見し、磨いていっていただければ嬉しい限りです。
 五句目の君子さん。おお、そうですとも、そうですとも、その意気です。戸籍年齢が年齢のすべてではありません(笑)。うつむかない、という方向性に共感しました。

 にんげんの息遣いが聴こえますか。体の温みは感じられますか。みなさんお一人お一人から生まれ落ちる句に、どうか、そうした吐息や温もりを宿らせてあげてください。  川柳はそこから始まります。

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