高鶴 礼子 選(佳作入選者は順不同)
*応募は、14支部20人、92句

選評 高鶴 礼子

■金賞
足早に過ぎゆく季節 老いたかな  小林 伸次 (葛飾支部)

【 評 】
 何を衒うということなく差し出された述懐が心に沁みます。一字空けて置かれた「老いたかな」というつぶやき。これによって平板な叙景に過ぎなかった材がぐぐっと作者に引きつけられているのがおわかりいただけるでしょうか。読者を立ち止らせるのはこのような、作者から沁み出てくるにんげんの匂い。川柳の詩がこぼれ始めるのはこんな瞬間です。

■銀賞
そのまえにエゴとたたかうエコロジー  渡辺 剛 (台東支部)

【 評 】
 おお、まさに。快適さの追求とエコロジーは相反するのですよね。たとえば地球温暖化。原因は産業革命以来の、化石燃料を燃やして生活の利便性を高めるための動力を得るという生活習慣にあるとわかってはいても、それなら一斉にエアコンを止めて、冷蔵庫も車もない生活をすればいいと単純に言い切ってしまえないところに問題の難しさがあると言えます。
 地上の富の約八割を、人口比で言えばたった二割でしかない北半球の人間が消費しているとUNDPの人間開発報告書が指摘してから早や八年。これまで車などの恩恵に預かれなかった人々がやっと利便性の扉に辿りついたとばかり、大挙して車を輸送手段に使い始めた時、それを糾弾することが、さんざその恩恵の上に胡坐をかいてきた私たち北の人間に許されるのかと問われれば、とてもイエスと答えることはできません。猛暑にエアコンなしで過ごしたため、お亡くなりになったご高齢者がいらしたというできごとは記憶に新しいところですが、こうなるともう利便性がどうのという問題ではなくなり、判断はいよいよ難しさを増します。さらにエコロジーとせめぎ合う相方のエゴ自体が、個人のエゴ、地域のエゴ、国のエゴ、ヒト科ヒトのエゴ等々と多種多様であること。これが問題をよりいっそう複雑化させて――、などなど。いやはや、挙げると、これはもうキリがありません。
 立場が違えば、もったいぶった顔をした正論がゴロゴロと幾つも登場するのが人の世の常。沈黙する共犯者とならないためには、やはり、一人一人が、できるところから少しずつ、やっていくということしかないのかもしれませんね。掲句、一筋縄では行かない重い問題の本質に横たわる対立軸をズバリ指摘した眼力が魅力でした。

■銅賞
疑えばみんな買えない土産物  岩波 邦治 (狛江支部)

【 評 】
 ハハ、ほんとうに。食・住・政、多分野にわたる偽装・欺瞞・怠慢のオンパレード。まったくもって、出るわ出るわの大露見でした。今回のご応募にはこの一連のできごとを詠んだ作品が数多くあったのですが、それらの中からこの作品が一歩抜きん出得たのには理由があります。まず、赤福の、白い恋人の、といった事件の概要ではなく、それを踏まえての「その次」が書かれていること、しかもそれをちゃんとご自分に引きつけて書いていらっしゃること。たとえば掲句を「疑えば誰も買わない土産物」という句と比べてみると、作者―対象間の距離の違いがわかりますよね。ここでも大切なのは句から作者の匂いが立ち昇ってくるか否かということ。掲句は「みんな買えない」の「買えない」が手柄で、妙にかわいい作者の困惑と告発がしかと息づいている作品になりました。

佳作


天皇と言われるほどのヤクザ者  福田 定光 (文京支部)
しあはせとおもういそじにめとるつま  吉田 敏雄 (葛飾支部)
巣立ち往く孫の古着でペンキ塗り  中垣 好一 (西多摩支部)
防衛省となって噴き出す傷のウミ  伊藤 宗吉 (港支部)
年金を食べてしまって知らぬ顔  濱田 晴恵 (荒川支部)
【総評】
 ご応募総数は九十二句。今回も時事詠がその多くを占めました。問題意識があるからこその作品化ですから、時事を題材にした作品が多くあること自体はたいへん喜ばしいことです。ただ――これは前回も申し上げたことですが――新聞やテレビが言っているのと同じことを同じ角度から同じような言葉を使って書くのであれば、それは大元のニュースを再び聞かせられるのと同じことであって、ふうん、とか、そうですか、お説ごもっともデス、といった以上の感興を呼びません。
 せっかく世界にたった一人しかいない「あなた」や「わたし」が川柳を書いてくださるのですから、「そうですか川柳」や「ごもっとも川柳」ではもったいない。ここはやはり、「あなた」や「わたし」にしか書けない味のあるものをめざしていただきたいと、そう思うのです。
 たとえば同じ林檎を書くにしても見る角度を変えてみれば、それはあなただけにしか見えない林檎になるやもしれません。海は広いな大きいな〜♪から、ちょっと離れたところで海を見つめてみれば、広くて大きいだけではない海が見えてくるかもしれません。そうした発見が「あなた」や「わたし」の匂いとなって、「句一般」を「あなた」や「わたし」の句に変えるのです。
 佳作となられた五氏の作品で言えば、定光さんの措辞の取り合わせ、敏雄さんの人としての年季を感じさせるあたたかさ、好一さんの「今」を見据えるまなざし、宗吉さんの枷の掛け方、晴恵さんの採用した擬人法、などがそれに当たるでしょうか。五人五様、入賞者を含めると八人八様のそうした彩があるからこそ、それらは「句一般」ではなくて、たとえば伸次さんの、剛さんの、邦治さんの句となって、おお、とか、ああ、とかいった共感を呼ぶのです。
 あ、でも、どうか難しく考えすぎないでくださいね。自然を、世相を、たいせつなひとを、「あなた」や「わたし」を取り巻く人々のありがとうやさよなら、悔しい、悲しいや嬉しいを、見る、聞く、知る、驚く、喜ぶ、ほっとする、憤慨する、そんな中で、もしも心がビビッと反応することがあったなら、その反応したところを十七音字に写し取ってください。基本はそれです。それでいいのです。
 大切なことは独自性という視点。「海は広いな大きいな」と書いて、決して安心してしまわないことです。