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第32回 仲間の作品コンクール 結果発表!

川柳の部

<高鶴 礼子 選>

銅賞 銀賞 金賞
粛々と杯を重ねて脂肪肝 この国は私のものと知らしめる 種まけばいつか実になる 母の声

 
難民を思えば止まる次の箸 働けど帳尻合わぬ年の暮 息ついて辺りを見れば仲間いる さあこれで米軍の盾 日本国

金賞

種まけばいつか実になる 母の声 濱田 晴恵(荒川支部)

選評

 亡くなられてのちも、いいえ、亡くなられているからこそよけいに、心に沁みて感じられるのが《母》なる人であり、《残された言葉》であるのでしょう。がんばりなさい、大丈夫だよ、はっきりとした成果が今は見えなくても、いつか、きっと、種を蒔いたところからは芽が出て、それが結実する日が来るのだから、と――。この句には、ふと浮かんだ亡母君の言葉を耳朶に懐かしみながら、改めて「母」という存在を丸ごと抱きとめ、そのぬくみ、そしてありがたさを噛み締めている「娘」の姿が、じんと表出されています。真理をふまえての、親から子への究極の励ましを、普段着の言葉に託して語ったところが魅力でした。

銀賞

この国は私のものと知らしめる 金谷 修(江東支部)

選評

 おお、そうですとも。「この国」は《ひとりひとりの私》(=私たち)のものであるということを、私たちはそれぞれに示していかねばなりません。と、そう読み解いた上で、この句には、もう一つ、興味深い点があることに読者諸兄姉はお気づきいただけるでしょうか。それは、「この国」を「私のものと知らしめ」ようとしている「私」なる人物が、この句においては、民の側にいる人物であるとも、権力の側にいる人物であるとも読めるという点です。前者として読んだ場合は素直な形で、後者として読んだ場合は反語として、それぞれに、今のこの国の状況に対する異議申し立てを果たしていることがわかります。そうした《ふくらみ》がもたらす妙味、そして下五の言い切りが醸し出す力強さがステキでした。

銅賞

粛々と杯を重ねて脂肪肝 黒田 順(東村山支部)

選評

 「粛々と杯を重ねる」という風情ある言葉で語り始めることにより、それなりのフレーズの到来を読者に予感させた上で、結句にサラリと「脂肪肝」を配してはニンマリとさせる――。「下五で跳ねる」と呼ばれる技法が効果的に使われています。手柄は、なんと言っても、「粛々と」という副詞。この語の下支えにより、前段の措定が強固なものとなり、《落差のおもしろ》が、より上質な形で表出されることとなりました。描かれている《笑い》が、《他者を笑う笑い》ではなくて、《自分を笑う笑い》となっている点にも、ぜひ、ご注目を。達者さを感じさせる書きっぷりで、頼もしい限りです。

佳作

さあこれで米軍の盾 日本国 赤池 修(調布支部)
息ついて辺りを見れば仲間いる 山本 晃(調布支部)
働けど帳尻合わぬ年の暮 小野寺 盛雄(調布支部)
碧い海失してまでもいらぬ基地 大塚 幸子(調布支部)
難民を思えば止まる次の箸 中村 久枝(世田谷支部)

選評

 さて、それでは、恒例となりました佳作の方々へのひとことメッセージへと参りましょう。
 一句目の赤池修さん、導入の上手さが光ります。「さあこれで」というフレーズに続くであろう事柄に対する読み手の予想を、ひらりと躱したアイロニカルな叙述。そこから窺えるのは今般の社会の動きに対する、これでいいのか、という問題提起です。この状況を、それを阻止できなかった自分たちに対する無念さとともに心に刻んで、なんとか変えていこうとする努力を続けていきたいものですよね。二句目の晃さん、素直な叙述の中に、《にんげん》の吐息、そしてまなざしが見えます。立ち止まり、ふうーっと息をついたその瞬間、ああ、俺には仲間がいたんだ、と気づく、その瞬間の《心》を句想の中心に置いたところが手柄でした。三句目の盛雄さん、「働けど」合うことのない「帳尻」が、個人的な収支の帳尻とも、人生の帳尻、社会の帳尻といった、より大きな次元のものとも読めるところに良さがあります。いずれの帳尻であろうと、それに対して真正面から真摯に挑んだ人にとって、帳尻の合わせ得る世の中であってほしいものです。四句目の幸子さん、「海」の色を「碧」とされたところにセンスを感じます。人智によって贖えるものと贖えないものと――。その対置を句の中心に据えられたところが効果的でした。五句目の久枝さん、「次の箸」と説明してしまったところが惜しまれますが、難民と呼ばれる方々の身に今、起きていることを、傍観者としてではなく、《わがこと》として受け止めておられるところに惹かれました。久枝さんならではのこの心の立ち位置。どうか大切になさって下さい。

総評

 至るところに存在していながら、その存在を示せないでいる詩や詩情の卵を、みなさんおひとりおひとりの感性によって、川柳の言葉へと掬い上げてやっていただければと思います。五七五というその詩形ゆえに、スローガンや標語へと堕ちてしまいやすい宿命が川柳という文学にはありますが、そこを、おっとどっこい、と堪え、事象の大元に居る《にんげん》、そしてその心の像を描き出そうと、どうか格闘してやってください。
 川柳と本気で向き合おうとする人に、川柳は、一つの得難い力を授けてくれます。
 そんなご大層なこと、あるわけがない、と思われた方は、ぜひ、一度、お試しを(笑)。生きとし生けるすべての方に拓かれて在る原野。それが川柳という文芸なのです。

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