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第34回 仲間の作品コンクール 結果発表!

川柳の部

<高鶴 礼子 選>

銅賞 銀賞 金賞
ご意向の埒外にあるアスベスト 凍えた手を肌に許してくれた母 一つぶの種芽の緑天をさす

 
空き家です門が倒れてそのままに 人類の理想変えるな ばかやろう 聞こえない政府に民のもがりぶえ 木枯らしに明日も晴れか懐手 戦争を知らない方が舵を取る

金賞

一つぶの種芽の緑天をさす 山浦 保さん(西多摩支部)

選評

 なんと爽やかな造型でしょう。決して躊躇うことなく、ただ、まっすぐに天を指す「種芽」。その実直でキラキラとした志向の姿が、そう、これでいいんだ、これを目指していくんだ、と、顔を上げるひとの、静かで懸命なまなざしを彷彿させます。「種芽」を「一つぶ」であるとしたところも、なかなか。この措定により、「天」に対峙する「種芽」という存在が、極めてちっぽけなものであること、けれど、そんな小さな、取るに足りない存在であっても、種芽は種芽、前を向くんだ、という気概が、しかと感じ取れる作品となりました。「種芽」という語に託して語られる存在が目指すであろう《これから》。その行く末を、じっと見つめていたくなります。

銀賞

()えた手を肌に許してくれた母 濱田 晴恵さん(荒川支部)

選評

 大切に選び置かれた言葉の間から、いくつもの物語が聞こえてきます。「凍えた手を母が肌に許す」という状況はどのようなものであったのか、具体的なセツメイを、あえて排し、淡々と、その一点だけを語るという叙法を採られた作者の思いの根底にあるものはどのようなものであったのか、作者の紡がれた一語一語を前にすると、そのあたりのことが、じんと沁みてくるような思いに駆られるのです。ここに描かれている物語は、たとえば、「まあ、こんなに冷たくなって、ほら、こうすれば、あったかいわよ」と、冷えた男の子の両手を自分の肌で包んであたためるお母さん、とも読めれば、余命いくばくもない老母の元へ、仕事先から懸命に駆けつけた息子が握る母の手、とも読めます。また、その情景は、今、まさに眼前で展開されているものであるとも読めれば、追憶としてのそれであるとも読めます。そうした重層性こそがこの句の魅力なのです。読者の現在地によって、物語がいくつにもふくらむ造型――、しかも、その中核には切なさがあります。お気持ちを、衒うことなく、素直に表出された作者。そのご姿勢を、どうか、これからも堅持なさっていらしてください。

銅賞

ご意向の埒外にあるアスベスト 黒田 順さん(小平東村山支部)

選評

 おお、まったくもって、その通り。「忖度」という言葉が、本来の意味を半分置き去りにするようなかたちで使いまくられる昨今の状況を踏まえた上での、それに対するしっかりとした問題提起がここには見て取れます。見どころは、それを直截な言葉ではなく、修辞によって語っておられるところ。特に注目すべきは、「意向」という語に付された「ご」という接頭辞です。これによって丁寧語となった該語のもたらすアイロニカルなニュアンスが、「アスベスト」という、《どんなふうに後付けで理屈をコネてみたとしても、人間にとって絶対的害となる》という属性を持つ語と取り合わせられることによって、昨今の《移転》、《不当なる値引き》にまつわる一連のできごとの根底に潜む問題を炙り出す社会詠を産みました。刻下に展開される状況に対して、ご自分の思いを、きっちりと書き込まれたところが魅力です。

佳作

戦争を知らない(かた)が舵を取る 相川 隆司さん(調布支部)
木枯しに明日も晴れか懐手 清水 弘さん(西東京支部)
聞こえない政府に民のもがりぶえ 鷲尾 俊彦さん(調布支部)
人類の理想変えるな ばかやろう 和田 太朗さん(調布支部)
空き家です門が倒れてそのままに 濱田 晴恵さん(荒川支部)

総評

 昨今の社会の状況に対する危機感を多くの方が共有していてくださることの現われだと思いますが、今回も時事や社会について書かれたお作品が数多く寄せられました。前回も書かせていただきましたが、発信を切実に思うあまり、ついつい、事象をセツメイ的に書いてしまうという傾向は、残念ながら、今回も否めなかったようです。けれど、同時に、そうでないものを目指そうとするご志向が、寄せられたお作品の根底には――まだ萌芽のような状態ではありますものの――、存在しているということも感じとることができました。
 セツメイをしているつもりではないにもかかわらず、なぜ、そうなってしまうのか。おそらくは、書こうとなさることに対する消化不足が、その一因であろうかと思います。以前にも申し上げたことがあるかと思いますが、川柳を書くことを《吐く》と言います。二日酔いなどで、ゲーッとなる、あの《吐く》です(笑)。
 《吐く》からにはお腹の中に吐こうとする何かがないと吐けません。一つ目のポイントはここにあります。これを書きたい、そう思われたなら、まずは、書こうとすること・ものを、目の前に置いて眺めているだけではなく、どうか、呑み込んでみてください。軽く、ではなく、臍下丹田、お腹の深いところまでググーッと呑み込む。そうした上で、これを書きたいと思うことを、お腹の中で、よーく消化(コナ)してみてほしいのです。ここが第二のポイントとなります。
 その時に留意していただきたい大切なことが一つあります。それは、一口に《呑み込む》と言っても、そこには深浅がある、ということ、これが三番目のポイントです。浅く呑めば、なるほど、吐き戻す作業は楽になるかもしれません。けれど、浅く呑んでしまったのでは、いくら懸命に消化したとしても、浅い句しか吐けません。深く呑めば呑むほど、吐き戻ず作業は苦しくなりますが、深いものを孕んだ句が吐ける――。川柳を書く時に求められるのは、そうした格闘なのです。
 
 さて、それでは、恒例となりました佳作の方々へのひとことメッセージへと参りましょう。
 一句目の隆司さん、「方」に「かた」とルビを付されたところが手柄です。もし、この箇所がルビ無しであったなら、「戦争を知らないほうが」と読まれても文句が言えないことになりますが、そんなふうに読まれてしまうと、この句は魅力激減、「ふーん、そうですか」で通り過ぎられてしまうお作品となってしまうところでした。「かた」という読みは個体を彷彿させ、「ほう」と読むと陣営が示される、という語自体の意味的相違をきちんと踏まえておられるところも佳ですが、注目すべきは、「方」を「かた」と読ませることによって生じる該語の丁寧語化です。それによって生まれ出る慇懃無礼的語感によって、眼前のこの事態を自分はどう捉えるか、という意思表示が、ほどよい加減の下、果たされることとなりました。
 二句目の弘さん、おぉ、寒っ、と背を丸める御仁の姿、そしてそのひとが、でも、この分だと明日も、きっと晴れるだろうなあと空を見上げるそのまなざしが、しかと感じられるお作品となっています。暮らしの中に、ほわっと何かが灯されるような手触りが醸し出す魅力とでも申しましょうか、こうした呟きにこそ、さりげない、けれど、まごうかたなき真理がある、とそんなふうに思わせてくれる言挙げでした。
 三句目の俊彦さん、思いを「もがりぶえ」という具象に託して語られたところが光ります。「虎落笛」というのは、吹きすさぶ冬の風が柵や竹垣に吹きつけて発される笛のような音のことをいうのですが、本句中の「もがりぶえ」は、「もがりぶえ」であって、「もがりぶえ」にあらず。「もがりぶえ」という修辞の背後に、市井の片隅からの懸命の意思表示、すなわち為政者に対して物申そう、行動しようとする人々の声が立ち上がってきます。この、思いを託す具象をレトリックとして使い得ているというところが、何と言っても大きな手柄でした。加えて、この句にはもう一つ注目すべき点が。それは、この句は、「聞こえない 政府に民のもがりぶえ」ではなく、「聞こえない政府に民のもがりぶえ」と読み得るということです。前者として読むと、単に民のもがりぶえが政府には聞こえない、というだけの指摘で終わってしまいますが、後者として読むと、「聞こえない政府」と「民のもがりぶえ」という二物衝撃の構図が成立するのがわかっていただけるかと思います。この対置が句をぐんと膨らませ、投げかける問題の相を、よりアクチュアリティーのある、力強いものとするのです。「もがりぶえ」は「虎落笛」と表記なさった方がよかったように思いますが、この、二物衝撃として読み得るという言葉の選択ならびに展開のさせ方が秀逸でした。
 四句目の太朗さん、「ばかやろう」という、極めて直截な断定、《ええかっこしい》を脱ぎ捨てた直言による投げ掛けが魅力です。この調子で、正直に、どんどん、太朗さんの中の《私》を晒していかれてください。五句目の晴恵さん、ちょっぴり、手掛かりの置き方がやさしすぎるせいか、字義通りに読まれてお終いとなってしまう危険性もなくはないのですが、「空き家」=「私」(ここに描かれているひと)と読める語りにじんと来ました。語りの中に余情を紡ぎ得たところが晴恵さんの彩であると感じます。これはとってもステキなことです。
 
 《書く》ということ、それは、世界にたったひとりしかいない《あなた》による刻下の《私》の表出です。時事や社会のことを一句のテーマとして据える場合は特に、どうか、そのことを、お心にお留めになっていらしてください。発信の矛先は百年後の読者をも含めて、です。同時代性という手掛かりナシでも何かしらを訴えかけ得る、スローガンや標語に堕ちないお作品が、一つ、また一つと、増えていくことを願って已みません。

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